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咸鏡北道 (植民地時代) : ウィキペディア日本語版 | 咸鏡北道 (日本統治時代)[かんきょうほくどう]
咸鏡北道(かんきょうほくどう、ハムギョンプクト)は、日本統治時代の朝鮮の行政区画の一つ。現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の咸鏡北道・羅先特別市と、両江道の一部を合わせた地域にあたる。 道庁ははじめ鏡城、1920年以降は羅南(1940年清津府に編入)に置かれた。 ==概要== 朝鮮の東北部、咸鏡道地方の東北側にあたり、西南に咸鏡南道と接する。豆満江を挟んで北に満洲・間島、北東にロシア(ソビエト連邦)と接する国境地帯で、羅南には第19師団が配置されていた。 1930年代には天然資源の開発が進められるとともに、日本が支配する満洲国への短絡路として、羅津の築港をはじめとする開発がすすめられた。
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